自己紹介
2019/06/30
当院のホームページを訪問してくださりありがとうございます。
当院は慢性的な疲労、冷え、不眠をよくすることに重きをおいています。
東洋医学に古くから伝わる「急なれば標を、緩なれば本を」という言葉があります。急性期であればまずはその場を凌ぎ、慢性期には生活習慣の見直しも含めて、病気の大本に目を向けた治療をしなければならない、という意味です。
どのような病気も、疲労、冷え、不眠を抱えたままよくなることはありません。ストレス社会といわれる昨今、心因性の病気や生活習慣に根ざした病気がとても多くなっていますが、うつ病や心身症(心の病が体の症状となって現れる病気)はもちろん、どんな病気も、疲労、冷え症、不眠症が改善されずによくなることはありません。体が冷えていれば眠りは深くならず、浅い眠りでは疲れがとれず、疲れたままでは自然治癒力は働きません。自然治癒力が働かなければ病気は治りません。体調をよくしようというとき、疲れを取り、冷えを取り、しっかりと眠ることは大前提となるものです。その上で、痛みがある部位(腰痛なら腰、肩こりなら肩、頭痛なら頭、それぞれの臓器の反射区など)への施術が非常に重要です。
東洋医学では「病」を治すのではなく、「証」を正すことを行います。証とはその人の「状態」です。
病院で検査をしたが原因がわからないといった場合、診断名が付かないため打つ手がないといったことが起きます。また症状に合わせて薬が処方されるため、症状の数が多ければそれに合わせて薬の数も増えるばかりとなってしまいます。一方東洋医学では「証」を正します。証とは状態であり、状態がないということはありませんから、打つ手がない、治療ができないとはなりません。例えば、片頭痛の場合、肝鬱化火、腎陽虚、痰湿、瘀血、気血両虚などの証によるものがあります。それぞれの証を正した結果、病気も治るということです。これらをご理解の上、ぜひ当院をご利用いただきたいと考えております。
馬込沢うえだ鍼灸院は、施術も受付もすべて私一人で行っています。当院を訪れるにあたって、施術者がどのような人間か、どのような治療院なのかはとても気になるところだと思います。そこで私のプロフィールを含めて、どのような考えで治療をしているのか、鍼灸院を始めるに至った経緯等々をお話しいたします。長くなってしまいますが、しばらくお付き合いいただければと思います。
体を動かすことが好きでした
体を動かすことが好きで外で遊んでばかりいた私は、ケガをすることが多くいつもどこかに赤チンが塗ってある、そんな子供でした。理髪店でも歯医者でも、じっとしていないので親は苦労したそうです。幼稚園のとき、チョロチョロと動き回る私の腕を親が引っ張って肘を脱臼(何度かありました)、遠足でゾウの石像にぶつかり肋骨を骨折、ガラス窓に突っ込み頭から流血(5針ほど縫いました)などのことがありましたが、大事故にならなくて良かったです。小学校に入学してからも擦り傷や打撲などはしょっちゅうでしたが。
中学生時代、学校の勉強をまったくしませんでした。なんであんなにしなかったのか、自分でもよくわかりませんが本当にしなかった。当然のことながら成績は最悪、最低です。その話を家内にすると、そんなに悪い成績をとるくらいなら勉強したほうが楽だろう、と言われます。その通りかもしれませんが、なぜかしなかった。そこで、親は私を塾に行かせました。しかし、学校の勉強をしないのに、塾の勉強をするわけがない。
15歳のときに、体術や剣術、棒術などを教える武道の道場に通い始めました。先生が警察学校の元教官、機動隊の元隊長だったため道場生も警察官が多く、また海外から来ている生徒(約半数は外国人)の職業も警察官や消防官などが多数で、ネービーやアーミー出身者もいました。未知の世界に入り、こんなところがあるのかととても刺激的だったのを憶えています。高校生の私は、そのような人たちに交じって最初はわけもわからず、教えられた通りにただ形(型)を夢中で真似していました。組打ち稽古のとき、当て身や逆技などそれまで経験したことのない痛みを味わうこともあり、青アザは絶えませんでした。それでも稽古は楽しく、当時神奈川の自宅から埼玉の道場まで片道3時間かかったのですが、最初週1回だったのを週3回に増やしました(うち1回は高田の馬場)。
そのうちに、道場に通っている人たちが必ずしも技術的なものを求めているのではない、ということがわかってきました。道場生の多くが他の武道や格闘技もしくは徴兵の経験者で、日本の警察官の人たちも、これまでに柔道や剣道、逮捕術などを学んでいます。そして、いざとなれば拳銃を使う(使わなければならない)人たちです。そのような人が武道に求めるものは、日本の伝統文化を学ぶことと合わせて、どんなときでも平静でいられる心、他者にも自分にもやさしくなれる心を養うことです。これは頭ではわかっていても簡単ではありません。また万人に向く方法があるわけでもなく、毎日の生活の中でそれを意識して過ごす以外にないと思います。考え方や行動が正しければ、病気や痛みに悩まされることはおそらく少ないのでしょう。しかし正しいと思っているつもりでも、その思いは独りよがりの場合もあります。病気や痛みは「そっちではなく、こっちだよ」と進む方向を示してくれるもので、武道精神や東洋医学的思想とは、それに気づけるようになるためのものとも言えます。ひいてはそれが身を護る、心を護ることにつながります。武道も医学も護身(心)術であると「武医同源」の言葉が表しています。
「武道とは、正しき道と悟りなば、学ばずとても極意なりける」
最近では、腰痛の患者を整形外科と心療内科が共同で診たりするなど、現代西洋医学でもその考え方を治療に活かそうとの試みがされています。しかし、心と体は一体であるという心身一如の思想は、東洋医学や武道の世界では昔からいわれていました。同じ労力を使うのでも、その対象が好きか嫌いかで、疲れ方はまったく違ったものになります。また、心が常に緊張状態にあると、自律神経の交感神経が過剰に働き血管は収縮、血流は低下、それが続けば冷え症の大きな原因となります。よく眠れないというのも、多くの場合心配事や精神的ストレスが関わっています。このように心と体は切り離して考えられるものではありません。
抽象度をあげて見れば、人や動物が行うすべてのことは幸せのためです。しかし私たちは時に道に迷います。そんなとき道しるべとなるものが、武道や東洋医学的思想といった先人たちが残してくれたものなのでしょう。もちろん、糧(精神・生活の活力の源泉。豊かにし、力づけるもの)となるものは、自分に合っているものであれば、武道や東洋医学でなくても何でもいいと思います。
初めて腰痛になった
そのころ、稽古のやり過ぎのためか人生で初めて腰痛になりました。当時まだ若く、疲れを感じることなどあまりなかったのですが、腰だけは痛いのです。武道の先生に紹介された治療院に通っているうちに痛みは治まり、そこの治療院でしてもらったマッサージのようなことを、見よう見まねで家族の者に施したりしていました。今思えばそれが治療家としての始まりだったかもしれません。
ちなみに腰痛は、比較的若い人のスポーツ障害のような、純粋な運動器疾患であれば治りは早く予後はいいものです。しかし、そこに心理的ストレスが加わると治りの悪いものとなっていきます。純粋に運動器疾患としての腰痛と、そこに精神的なものが加わったものと、この二つは同じ腰の痛みでも、治療の際に用いるツボが同じではありません。これを同病異治といいます。同じ病であっても、治療法が異なるという意味です。腰痛には、単なる運動器疾患のもの、心因性のもの、運動器疾患に心因的な要素が絡んだもの、内臓病変から来るもの、線維筋痛症の一症状としてのもの等々があり、治療に際して、どういった腰痛なのかを判断しなければなりません。
フィットネスクラブ時代
体を動かすことが好きだった私は、その後、フィットネスクラブのインストラクターを養成する学校を卒業、夏はフィットネスクラブ、冬はスキーのインストラクターやスキー場の冬季社員として働いていました。冬の間、スキー場に行ってしまう自分を雇ってくれた会社に感謝です。私が勤めていたフィットネスクラブには、運動経験のあまりない年配者からプロのアスリートまで様々な方が来られていましたが、そのほとんどは普通に体を動かすことができます。運動不足を解消したい、痩せたい、競技力を向上させたいなどの理由で来館されます。毎日そのような方たちを相手に、ときに大勢と、ときにマンツーマンで、楽しく働いていました。しかし、フィットネスクラブで行うような運動は比較的元気な方にはとても良いのですが、ケガやそれによる痛みなどがある方にとってはそうではありません。その痛みを解消する手段が、当時の私には何もありませんでした。見よう見まねのマッサージではとても治療はできません。慢性痛に対して多くの場合運動は、痛みを緩和させるために有効なものです。しかし痛みのために運動ができないというケースにおいては、他のなんらかの手段で痛みに対処する必要があります。元々人間の身体というものに興味があり、また自分自身、腰痛持ちだったということで、この頃から整体やカイロプラクティックの講習会に行くようになりました。そこでは、腰痛や肩こりなどの体の不調は、サブラクセーション(背骨のズレや骨盤の歪み)による神経機能の低下が原因だから、それを正せば痛みは取れ体調は良くなるとされ、教えてもらった技術の内容も、主には背骨や骨盤を正確な位置に戻すというものでした。
※現在イギリスではサブラクセーションの概念がなくなり、その言葉を使用するときは歴史上の言葉として使用する以外は認められなくなっているそうです。
(Science Communication Laboratory, Meiji Universityより)
スキー学校時代
当時の自分の腰痛の一番の原因は、スキーのやり過ぎによる筋疲労です。SIA(日本職業スキー教師協会)のスキー教師として、仕事で滑るのは仕方がないにしてもプライベートでは休むべきでした。いくら腰痛に対して良いことをしても、それ以上に悪いことをしてしまっていては、いつまでたっても治らないばかりか、状況は悪化する一方です。1か月間の滑走日数が31日ということもありましたが、あきらかに滑りすぎです。練習やトレーニングは休養と一対で成り立つもので、どちらかだけが多くても少なくてもその効果は半減してしまいます。休んでいるときにしかできないことがいくらでもあるのです。しかし上手くなりたい一心でついついゲレンデに出てしまう。疲れが溜まったまま滑ってもパフォーマンスは上がらず、まして上達などしません。さらなる疲労が蓄積されるだけです。体調を崩し風邪をひいてしまい、そして一度風邪をひいてしまうと、体力も落ちているためなかなか治りません。今思うと自己管理が全くできていませんでした。疲れていては何事もうまくいかず、がんばっても、そのがんばりは空回りに終わるケースが多いと身をもって知りました。そこで得た教訓は、後に活かされることになります。
鍼灸、あんま・マッサージ・指圧の専門学校へ
技術的、体力的、経済的などの理由から、仕事としてスキーを続けていくのは無理であるとわかっていました。そこで、スポーツ選手や愛好家をサポートするトレーナーの多くが有している鍼灸・マッサージの資格取得を思い立ち、神奈川衛生学園専門学校東洋医療総合学科に無事入学することができました。東洋医療総合学科といっても東洋医療だけでなく、西洋医学と東洋医学の両方を3年をかけて学びます。
医学医療を大きく西洋医学と、東洋医学とに区別した場合、解剖学(骨や筋肉、内臓などが、どこにどのように位置しているかを調べる学問)は西洋医学、経絡経穴学は東洋医学に分類されます。しかしその経穴(ツボ)がどの筋肉上に位置しているかを理解するためには解剖学の知識が必要です。つまり東洋医学を学ぶためには、西洋医学を学ぶ必要があります。中国の医療大学では、西洋医学の医師(いわゆる医師)を目指す者も、東洋医学の医師(中医師)になる者も、陰陽学説や五行学説(東洋医学の基本となる考え方)を学びます(就業年数はともに6年間)。それと同じように、日本で鍼灸師になるためには、西洋医学的なものと東洋医学的なものとの双方の基本を学ばなければなりません。ちなみに専門学校でのカリュキュラムの内容は、解剖学、生理学、公衆衛生学、関係法規、病理学概論、臨床医学総論、臨床医学各論、リハビリテーション医学、東洋医学概論、経絡経穴概論、はり理論及び東洋医学臨床論などの座学と、鍼灸とあん摩・マッサージ・指圧の実技です。国家資格受験のために、時間にして、はり師・きゅう師、あんまマッサージ指圧師なら3,165時間(はり師・きゅう師だけなら2,865時間)の講義を受ける必要があります。
整形外科リハビリテーション室に勤務
神奈川衛生学園を卒業した後、整形外科のリハビリ室に就職しました。鍼灸が運動器疾患だけでなく様々な疾患に効果的であるのは、学校で教えられ知っていましたが、鍼灸師になろうと思ったきっかけは、スポーツ選手やスポーツを愛好者の身体のケアをしたいということでしたから、整形外科のリハビリ室への勤務は一つの希望が叶ったといえます。ここでは多い日で100人の患者さんをみさせていただきました。リハビリ室に来られる患者さんの数が1日300人。これを有資格者3人、それを補助してくれる助手5人ほどで相手をします。患者さんは必ず有資格者の施術を受けますので、300人割る3人で、1人の有資格者は1日100人の患者さんをみることになります。ベッドメイクなど、鍼灸やマッサージを行うにあたっての準備や後片づけを助手の方がやってくれます。しかしそれでも1日に1人で100人をみるのは結構大変です。患者さん1人にかける時間もわずかなものにならざるを得ません。いずれは鍼灸治療の可能性を追求してみたいという気持ちから東洋医学の勉強は続けていましたが、このころからその思いは一層強くなり、独立を考えるようになり、開業するまでにそれほどの時間はかかりませんでした。
お世話になった先生方
開業に当たって、呉澤森先生(上海中医大学教授、WHO鍼灸臨床センター講師、伝統第一治療院院長)、楊志成先生(楊中医鍼灸院院長、医学博士)、故伊藤昌芳先生(元神奈川鍼灸師会々長)には大変お世話になりました。呉先生は、日本においては私の出身校でもある神奈川衛生学園の卒業生でもあり、私の在学中は、東洋医療臨床論などの教鞭をとられていました。またご自分でも中医学の勉強会を主宰されています。私も、上海への研修旅行に同行させていただきました。
※呉澤森の本・・・「鍼灸の世界」「経穴の臨床実践」「証の診方、治し方」「呉澤森の鍼灸あれこれ」
楊先生は吉祥寺で中医学専門の鍼灸院(楊中医鍼灸院)を開業されています。呉先生主催の勉強会で論文を発表されていた楊先生をお見掛けし、一度お会いしたいと思い後日問い合わせたところ、ぜひいらしてくださいとのお返事をいただきました。こちらには呉先生の伝統第一治療院と同様に、多種多様な疾患の方が来院されます。楊先生の計らいで、見学するだけではなく白衣を着て研修という形で、本場の中医学の治療を間近でみることができました。また、一日の営業終了時や休憩時間などに、中医学のお話や患者さんについての説明をしてくださるなど、中医学をこよなく愛する楊先生は、多くの質問にも実に丁寧にかつ熱く答えてくださいました。
伊藤先生のご自宅に家内同伴でお伺いし、鍼灸師としてのいろはや他ではなかなか知ることのできない貴重なお話を聞くことができました。一生かかっても読み切れないような蔵書に驚き、鍼灸師会の会長になられても勉強されているんだなぁと、身の引き締まる思いがしました。
伊藤先生が読み終えたばかりの本をいただいた思い出があります。
三人の先生方が共通して述べているのは、「よくなる人もいれば、なかなかよくならない人もいて、それが現実だ。人の体をよくするのにこれでいいということはない。だから勉強を続ける」です。
鍼灸院に訪れるひとの特徴
このような経験をした後開業に至り、おかげさまで整形外科的疾患や、内科的疾患、心療内科的なものまで さまざまな患者さんに足を運んでいただきました。開業してみて、鍼灸院を訪れる方には四つの特徴があることに気が付きました。一つは、病院に行ったが良くならないから鍼灸を受けてみようと思ったというもの。体の調子がおかしいな、いつもと違うなと感じたら、まずは検査機関でもあり健康保険が使える病院やクリニックで診察を受けるのがふつうです。現在、日本の病院やクリニックが主として行っている医療は、現代医療や西洋医療と呼ばれるもので、最先端医療もこれに含まれます。もちろん現代西洋医療が効果的な病気に対しては、現代西洋医療で対処するのが良いのですが、検査をしたが特に異常は見つからないといったケースも多く、いわゆる不定愁訴と呼ばれるものなどに対しては、東洋医療のほうが良い場合も少なくありません。
ちなみに、江戸時代までは日本の医療の主流は漢方(東洋医学)でした。しかし、江戸末期にオランダの医学(蘭方)が伝来。その後、明治維新を迎えた日本は富国強兵政策の一環として、これからは我が国の医療も他の列強諸国に習うべきであると、蘭方が主流になりました(オランダ医学書の大半はドイツ医学書からの翻訳だそうです)。この頃、戦争で負傷する兵士には、西洋薬が大きな効果を発揮しました。また衛生環境が現在ほど整っていなかったために疫病(当時流行り病と呼ばれた。コレラなど)が蔓延することが度々あり、これに対して抗生物質をはじめ、やはり西洋薬が功を奏しました。治る見込みがないとされていた結核に対し、劇的な変化をもたらしたスプレプトマイシンの登場は、日本人が薬に頼るようになったきっかけになったともいわれています。しかし現在の日本は戦争もないし、衛生環境も整っています。生活習慣病や精神疾患など、現代特有の病気に対して鍼灸の有効性が証明され、中国はもとより欧米諸国でも東洋医学が見直されています。※鍼灸の歴史についてはこちら
鍼灸院を訪れるひとに見られる特徴の二つ目は、できれば薬は飲みたくないというものです。薬は適切に処方されるのであればやみくもに嫌うものでもなく、かといって必要以上に飲むものでもないと考えます。不快な症状を抱え自律神経が乱れたままでは、思うように治癒力も働いてくれません。このようなときに必要最少限度の薬を服用し症状を軽くすれば、自然治癒力も働いて、薬を飲むのを止めても再発しないというのが本来の薬の用い方です。しかし薬によって不快な症状を抑えて、改善すべきところはそのままで薬に頼るだけでは、治癒力はどんどん低下していってしまいます。症状に何故不快感が伴うかといえば、症状とは生活全般において改めた方がいいところがある、といういわばシグナルの役目をもつためです。急性期の痛みなどの症状が、薬の短期服用で緩和するのであれば、薬をそれほど嫌う必要もないと思います。なぜ薬を飲みたくないのかといえば、一つは副作用の問題が上げられます。重篤な副作用はもとより、服用後すぐに表れるような副作用であれば、自分に合った薬に変えればいいといった考え方もあります。しかし、少しずつつ、長期に渡ってじわじわと体に負担をかけるような副作用では、それが表面化したときには、本来体が持っている治癒力がかなり失われている、といったこともあるかもしれません。また多かれ少なかれ薬には依存性があって、服用を続けていると薬効が薄れ、用量を増やさなくてはならなくなることもあります。そして長期服用は肝臓などの臓器に負担をかけます。西洋薬の多くは消炎剤(抗炎症剤)で、消炎剤は文字通り炎を消す薬ですから体を冷やします。西洋薬に体を温める薬はほとんどないことからも、慢性疾患を西洋医学だけで治癒させるのは難しいといえるのかもしれません。慢性疾患をよくするためには熱が必要となりますので、西洋薬の長期服用は、慢性疾患治癒の妨げになると指摘されています。
現在飲んでいる薬を、他の病院で減らされたという話も珍しくありません。医療機関では処方された薬はしっかりと飲まなければならないと告げられ、また、そのような内容をテレビ番組や雑誌などでも頻繁に目にします。しかし言われた通りにしていたら、他の病院で今まで飲んでいた薬を減らされる。患者の立場としては何を信じていいのか迷ってしまいます。飲まなくてはいけない薬はあります。すぐには止められない薬もあるでしょう。しかし長期に渡って飲まなくてはならないときでも、その薬を減らすためにできることがあり、まだやっていないのであれば、それをすることが本当の意味で健康を手に入れるといえるでしょう。
三つ目の特徴は、精神的ストレスをかかえ、それが病気の大きな要因の一つとなっているということです。ストレス社会とよばれる現代において、精神的ストレスのない人などいないのかもしれません。精神的ストレスがあっても生活に大きな支障をきたさなければいいのですが、病気の要因というのであれば問題です。病気や痛みは身を守るもので、「休め」という体からのメッセージです。精神的ストレスによって病気や痛みが潜在意識に入り込んでしまうと、自覚できている意識では治りたいのですが、深層の部分でそれを拒むということが起こります。潜在意識が治りたくないと思っている間は治りません。治ってしまうと、それまで病気や痛みを理由にやらなくてよかったことをやらなくてはならなくなるからです。本当ならやりたくない仕事をやらなければならない、会いたくない人と会わなくてはならない、といったことを避けようとするために生じている病気や痛みは、防衛本能からくるものなのです。また痛みという情報を受け取る脳内で、痛みのサイクルが出来てしまうと、組織(筋肉など)は修復されているのに、痛みだけは残ってしまうという現象が起きます。
以前にこんな患者さんがいました。それほどひどくはなかった腰痛が数時間のうちに悪化、耐えきれなくなり救急車で運ばれ、病院で検査を受けたが異常なし。そのまましばらく休んだ後、痛みが軽減し帰宅した。この患者さんのような痛みは、ストレスから逃れたい、自分や自分の目的、そこに向けての行動を認めて欲しいという心からの声なき声なのです。器質的問題がなければ対処のしようがないかといえばそうではなく、このようなときにでも自分でできることはあります。大切なのは、病気や痛みをもたらしている原因(自分にとっての最も強いストレス)は何かを自覚すること。痛み自体が最大のストレスという状況になってしまっている人もいますが、その痛みをもたらしているものが何かを知ることです。ストレッサー(ストレスの原因となっているもの)に思いを馳せるのはつらいもので、根を詰めるとそれが更なるストレスになります。そのようなときは少しずつ行うようにします。そして、損傷部位とその情報を受け取る脳との間に乖離がある痛みが存在するということを知る、治るのには時間がかかるかもしれないと腹をくくる、病気や痛みに心や体、生活を奪われない、嫌なものは嫌とハッキリ意思表示する、規則正しい生活を送る、今日まで自分を支えてくれた自らの情熱にありがとうをいう、ときめく、自分も大変だが他人も大変ということに目を向ける、これらをできる範囲で理解すること、理解しようとすることです。そしてもう一つ、がんばり過ぎないこと。もちろんがんばらなければならないときはあります。しかし、がんばりだけで物事がうまくいくわけではありません。病気や痛みが治らない、また早く社会に復帰しなければならいといった焦りから、ついがんばり過ぎてしまいます。しかし、がんばったときに感じる気持ちの高揚は一時のもので、高揚感(がんばった感)が大きいほど思うようにいかなかったときの落ち込みも大きく、それが繰り返されるとうつ病や心身症になってしまいます。実際に「仮面うつ」といって治らない病気や痛みの正体は実はうつ病である場合も少なくありません。がんばり過ぎているなと感じたら、自らアクセルを緩め、がんばった分に見合うだけのこころと体の休養をしっかりととり、ものことがあらぬ方向に行っていないか確認し、ときに舵取りの修正が必要です。教科書に書いてある通りに事が進めばいいのですが、そうばかりではないのが現実です。日々、医療は進歩進化していますが病気がなくならないのは周知の通りです。問題はそんなに簡単ではなく、またその原因も一つとは限りません。が、しかし一見深刻と思えるような事態であっても、必要以上に病気を恐れず、かといって過信せず、淡々とそしてできれば楽しく、やるべきことをやるといった姿勢が大切です。
・病気を引き起こしているストレスは何かを知る
・損傷部位と脳との間に乖離がある痛みが存在するということを知る
・治るのには時間がかかるかもしれないと腹をくくる
・病気や痛みに心や体、生活を奪われない
・嫌なことは嫌とハッキリ意思表示する
・規則正しい生活を送る
・今日まで自分を支えてくれた自らの情熱にありがとうをいう
・ときめく
・自分も大変だが、他人も大変ということに目を向ける
・がんばり過ぎない
鍼灸院に来られるひとの四つ目の特徴は、主症状が何であれ、疲労、冷え、不眠、のいずれか、もしくは全部を併せ持っているケースがとても多いことです(疲労、冷え、不眠が主症状という方も大勢います)。これらは自覚できているとは限りません。先に述べました精神的ストレスや不規則かつ心身にとって良くない生活習慣によって、疲労、冷え、不眠は生まれます。日本疲労学会の研究では、疲労は多くの場合体の疲労ではなく、大脳を介した自律神経の疲れであるとしています。疲れていては、冷えていては、よく眠れていなければ、精神的ストレスに立ち向かうもしくはストレスと上手くつきあっていくのが難しく、自己治癒力も働きません。例えば、急性腰痛で鍼灸治療を行うとき、患部(腰)に鍼を打てば、痛みのために緊張して硬くなっている筋肉が緩み、またその他の鎮痛機序により痛みはやわらぎます(筋線維の微小断裂のため炎症がひどければ速効しない場合も多い)。しかし慢性腰痛の場合、ただ鍼で筋肉を緩めても、その効果はさほど長くは続きません。自己治癒力を高め、根本的な腰痛の軽減が必要です。
西洋医療的不妊治療をお受けになっていた方が来院されたことがあります(Aさん)。うまく事が進まない(妊娠しない)のと、体に負担のかかる排卵誘発剤などのために心身共に疲れてしまったとの理由で、一旦不妊治療を休むことにしたそうです。その間に、何もしないのも不安だし、体調を立て直す意味で鍼灸を受けようと思ったとのこと。しばらく通っているうちに徐々に元気になっていかれましたが、不妊治療を再開するかどうかは決めかねているようでした。その後しばらくして妊娠していることがわかりました。鍼灸治療をお受けになっている間、Aさんは食べ物にも気を使い、ストレスを溜めないように心がけていました。ですから妊娠が鍼灸によるものかどうかはわかりません。それぞれが相乗効果を生み、妊娠に至ったのではないかと思います。そのときに当院で行った治療の内容は、疲労を取り、冷えを取り、よく眠れるようにすることでした。Aさんも、鍼灸で元気になることは望んでいらっしゃいましたが、妊娠するためにはこれまで行ってきた排卵誘発剤を使う西洋医療的なものに頼るしかないと考えていたようです。その後、Aさんは無事出産されました。鍼灸による不妊治療は、元気になること。そのためには疲れを取り、冷えを取り、しっかり眠れるようにする。これだけです。これ以外にありません。これこそが根本的治療であると考えています。疲れが取れ、冷えが取れ、しっかり眠れるようになれば、それに伴ってホルモンのバランスも整い、卵子も質の良いものとなり、子宮の内膜も厚くなります。この「根本的」がとても大事で、それこそが東洋医学的な鍼灸治療の本領といえます。根本に目を向け、自己治癒力を高めるとは、つまりは疲労を取り、冷え症を取り、睡眠を充実したものとすることに他なりません。その他、数名の方が妊娠されましたが、ひどい疲れの溜まったまま、冷えたまま、よく眠れないままで、妊娠に至った方はいません。疲労や冷えをとり、しっかりと眠りさえすれば、すべての病気が治るわけではありません。しかし、疲労、冷え症を抱え、睡眠不足のまま、諸々の症状がよくなることはおそらくないでしょう。あったとしてもそれは一時的なものです。表面化している多くの症状を見ると同時に、その根底にあるものに目を向けることが非常に重要であると考えます。
鍼灸院に訪れるひとに見られる特徴
・病院に行ったがよくならない
・薬を飲みたくない
・精神的ストレスを抱えていて、それが病気の大きな要因となっている
・疲労、冷え、不眠を持っている
専門性をもって臨む
自分で開業、一人で患者さんを治療して、実に多くのことを学びました。鍼灸院には本当に多くの方に来院していただきましたが、父が他界し母が一人になってしまったため、一度院を閉じ実家に戻ることにしました。これを機に、治療院と並行して週一度行っていた健康保険による在宅マッサージ治療の日数を増やしました。昨今の日本において、在宅治療を必要としている方はとても多いという実態を自分の目で確認することができました。脳梗塞や筋肉の難病、ひどいリウマチや交通事故の後遺症などで車椅子の生活を余儀なくされた方にとって、自宅で治療が受けられるのはとても大切なことです。しかし在宅治療を続けながらも、鍼灸に対する思いが消えることはありませんでした。保険診療でできることにはかなりの制限があります。自由診療で、鍼灸の治療がしたいとの思いから再度開院することに致しました。これまでやってきたことを、より高い専門性を持って臨みたいと考えております。
追記:3年をかけて学ぶ鍼灸専門学校での勉強は、その後の鍼灸師としての人生の基盤となるもので、とても大切なものではあります。しかし本当の意味での勉強は学校を卒業してからです。臨床を経験して初めて知ることが実に多く、そこからまた勉強がはじまります。それを生涯に渡って続けて行くのが鍼灸師であり、治療家ではないかと考えます。
広く一般的に行われている治療法や、鍼灸で改善が見られなくても、治癒への可能性がなくなったわけではありません。可能性を広げるための方法として、当院では現在、鍼灸治療と合わせて光線療法を行っております。
馬込沢うえだ鍼灸院 上田喜一郎